大学入学から休学へ。精神病院強制収容と閉鎖病棟での暮らし。

十八歳の春から東京でのひとり暮らしが始まりました。

大学入ったら幸せになれるとてっきり思っていました。でも現実は違いました。

初めの頃はは無理して明るく振舞っていました。母が亡くなったことも誰にも言わなかったです。場の雰囲気が悪くなったり反応に困ったりされるのではないかと思い、みんなでお母さんの話題になってもいるかのように振舞っていました。

しかし、そんな無理した日々も長くは続きませんでした。今までのハードな生活や母のことなどストレスが限界を超え、うつ状態に五月ごろからなりました。

人の話しや講義などが徐々に理解できなくなっていきました。

私は自分がうつ状態になったと自覚していなかったので、私自身が至らないと思い自分は駄目な人間だと自分を責めました。自己啓発本を購入して読むと、書いてある駄目な人間に私が当てはまっていて、絶望しました。

大学に通うのも苦痛で苦痛で仕方なくなりました。

ひとり暮らしの部屋では、生きているだけでたまらなく苦しかったので、精神的な辛さを緩和させようと思い、物理的な刺激を体に与え壁に何度もぶつかったりしました。

そのような日々の中でも単位を取らないといけないと、無理やり通い、生きているだけで絶望的に苦しい日々が続きました。

私は次第に精神的におかしいと自覚するようになりました。父には反対されていたのですが、生まれて初めてメンタルクリニックに行きました。

十分ほどの診察でうつ病だと言われ、抗うつ薬を処方されました。

私はしばらく飲むの怖くてためらったのですが、あまりにも辛かったので思い切って飲んでみることにしました。

飲んで二週間ほど経った頃、今までの苦痛が嘘のように消えていきました。

私は徐々にハイテンションになっていき、躁転しました。

エネルギッシュになり、体は疲れているのに自覚症状がなく多弁多動になりました。

メンタルクリニックに通い続けても、おかしいと指摘もされず、同じ薬をずっと処方されました。

次第に妄想が出てきて、世の中が不気味に感じられるようになりました。

幻覚も見えて、外に出るとありとあらゆる人に監視されていると思い、命の危険を感じるほどのとてつもない恐怖感に襲われました。

わたしは取り乱して支離滅裂な言動になりました。

別の規模の大きい精神科で鎮静させる注射を打たれ、その後また別の精神病院に強制的に入院させられました。

目が覚めたら鍵の掛かった部屋に、両手両足縛られ、紙おむつをさせられ、体を全く動かすことのできない窮屈な状態にさせられていました。

それが二週間ほど続きました。

何の説明もなく一日薬三十錠ほど飲まされました。

入院して始めの頃は話したり自分の意見を言ったりすることができたのですが、徐々に頭が働かなくなり全く話すことができなくなりました。

自分の状態がとてつもなく辛くてもそれを主張することすらできないのです。

私は副作用でよだれをたらしながら表情も全くない感情が死んだ状態になりました。

いつ退院できるのか先の見通しも分からず、とにかく長い地獄の日々を過ごしました。

そのさなか、統合失調症だと突然何の説明もなく病名だけ告げられました。

私は自分を基地外だと認識し、周りから差別されるような人間になってしまったことに絶望しました。

私の人生はもうおしまいだと思い、退院後自殺しようと本気で考えました。

六か月ほどが経ち退院して自宅療養することになりました。

父の社宅で暮らしました。父は会社に行っていたので、ひとりで過ごす時間が長かったです。

そのひとりの時間を何とかやり過ごすのが地獄でした。何だかおかしくなってしまうような恐怖感が常にありました。

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